埼玉・深谷で創業百有余年、
新吉の麺で食卓に笑顔を。

お母さんが作ってくれていた
新吉の優しい味のうどん。

忘れられないその味は、
きっと家族の思い出が
つまっている。

思い出の味を探して、
見慣れた新吉の麺を手にとる。
家族の「おいしい」が聞きたくて
今夜の晩ごはんは
新吉の優しい味のうどん。

私の食べたいはいつしか、
食べてほしいになった。
明日は何を作ろうか。
笑顔の食卓がひろがっていく。

- 新吉が歩んだ百年の歴史 -

新吉は米穀小売業として、
大正7年に創業しました。

米穀小売業から始まり、
今では「町のうどん屋さん」へ。

新吉は米穀小売業として、大正7年に創業しました。
昭和25年からは製麺を扱うようになり「町のうどん屋さん」として地域の方々に親しまれ、日本の戦後復興や経済成長を「食」で支えてきました。
昭和35年、日本では即席ラーメンが普及し始めます。
新吉では、その頃に主力商品を生麺・ゆで麺にしぼり、量販店での販売を本格的にスタートさせました。その後、昭和60年代に開催された「さいたま博」を期に、埼玉・深谷の郷土料理である「煮ぼうとう」を商品化。新吉のブランド商品として、地元の味を県内外に伝えることで郷土の食文化を守ることに大きく貢献してきました。また、子どもたちに美味しい新吉の麺を食べてほしい想いから、学校給食に麺を提供し、県北で最初の学校給食指定工場になりました。現在では、埼玉県内200校以上の小中学校に麺を供給しています。

郷土の味はそのままに、
時代にあった「美味しさ」を。

私たち新吉が大切にしていること、それは「自分たちが美味しいと思うものを追求する」ということ。誰よりも麺と向き合ってきた私たちが満足できないものは製品化したくない。そうした譲れないこだわりを持って麺づくりに取り組むことが、故郷の食文化を支えることに繋がり、ひいてはお客さまの笑顔に繋がると考えています。
そして、変わらぬ新吉の味を守り続けることも大切ですが、時代の流れを敏感に感じとり、こだわりの旨さに磨きをかけていくことも忘れてはならないことだと思っています。変化していくライフスタイルに合わせて、幅広い層のお客さまに喜んでいただける製品づくりを大事にしております。

郷土の偉人「渋沢栄一」も愛した、
武州深谷名物の「煮ぼうとう」

近代日本経済の立役者として、今なお多くの人々の尊敬を集める渋沢栄一は、天保11年(1840)、深谷市血洗島の農家に生まれました。
持ち前の正義感から若いころは尊王攘夷運動に加わったものの、その後は一橋家と幕府に仕えます。
慶応3年(1867)には第15代将軍徳川慶喜の名代徳川昭武に随行して渡仏し、ヨーロッパの進んだ思想・文化・社会などに大きな影響を受けました。帰国後は明治新政府の大蔵省に仕えますが、大久保利通らと意見が合わずに辞職。以後は、実業界の最高指導者として大きな足跡を残しました。

渋沢 栄一

近代日本経済の父

渋沢 栄一

論語の精神を重んじた渋沢栄一は、各種産業の育成と500もの近代企業の確立に努めたほか、養育院や孤児院など600以上の社会公共事業に携わり、救護法の制定にも尽力しました。
( 深谷市観光協会HPより)
また、『彩の国21世紀郷土かるた』の「え」の項目は、「栄一も食べたネギ入り煮ぼうとう」となっています。これは深谷ねぎが栄一の故郷の深谷の特産品であることと、煮ぼうとうが埼玉県北部の郷土料理であることにちなんでいます。